最判平成元年11月20日(天皇の民事責任の考え方)

天皇の民事責任に関する最高裁判所判決(最判平成元年11月20日)について、事案の概要と判旨(裁判所の判断)を詳しく解説します。

この判例は、象徴としての天皇の地位と、裁判権の適用に関する重要な憲法上の解釈を示したものです。


1. どんな裁判だったのか?(事案の概要)

  • 事案:
    • 昭和天皇が崩御された後、ある住民が、昭和天皇の相続人である当時の天皇(明仁・現上皇)を被告として、昭和天皇の在位中の行為(公務ではないとされる私的な行為)に関連して、損害賠償を求める民事訴訟を提起しました。
  • 争点:
    • 天皇に対して、一私人と同じように日本の裁判所の民事裁判権が及ぶのか、そして天皇を被告とする訴訟が適法なのか、という点が争われました。

2. 最高裁判所の判断(判旨)

最高裁判所は、原告の訴えを退け、**「天皇には民事裁判権が及ばない」**と判断しました。

💡 核心的な判断(結論)

最高裁は以下のように判示しました。

天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。

この判断により、天皇を被告とする本件訴訟は、当事者適格(訴えられる資格)を欠くとして不適法となり、却下されました。

💡 判断の理由(「象徴」としての地位の考慮)

天皇に民事裁判権が及ばないと解釈された主な理由は、その憲法上の地位にあります。

  • 憲法上の地位: 天皇は日本国憲法第1条により、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められています。
  • 地位の特殊性:
    • この「象徴」という地位は、天皇が単なる国家機関や一私人ではない、極めて特殊で公的な存在であることを意味します。
    • 国民統合の象徴としての地位を十全に果たすためには、天皇は政治的、社会的に中立的な立場を保ち、その品位と権威を維持することが不可欠です。
  • 裁判権適用による影響の回避:
    • 天皇を民事訴訟の当事者として裁判所に出廷させたり、証人として尋問したり、強制執行の対象としたりすることは、「象徴」としての公的地位を損ない、国民統合の象徴としての役割の遂行に支障をきたす恐れがあります。
  • 結論: 裁判権の行使によるこのような影響を避けるため、憲法第1条の天皇の地位の特殊性から、天皇には民事裁判権が及ばない(=裁判の被告とすることはできない)と解釈するのが相当である、と結論付けられました。

3. この判例が意味すること

この判例は、戦後の日本において、天皇の法的地位と責任について最高裁が明確な判断を示した点で非常に重要です。

  • 「治外法権」ではないが「訴権の制限」:
    • 判例は、天皇が民事上の責任自体を負わないと判断したわけではありません(民事責任自体は存在すると考えられている)。
    • しかし、その責任を裁判という手段によって追及すること(民事裁判権の行使)が、憲法上の象徴としての地位の特殊性から許されない、という訴追の制限を示しました。
  • 私人としての天皇の否定:
    • 判決は、「象徴としての天皇」と「私人としての天皇」をあえて区別せず、天皇の地位全体に民事裁判権が及ばない、としています。

この判例は、天皇の行為に対する責任追及は、政治的(内閣の助言と承認など)や道義的なものに留まる可能性が高いことを示唆しています。